朝日新聞のコラム「天声人語」の筆者として知られる新垣秀雄氏(1903~89)の功績に光を当てる「新垣秀雄顕彰作文コンクール」の一般の部の特選に当福祉会、理事長の実姉、松江市在住三島葉子さんの作品が選ばれました。
同窓会をキーワードにテーマである「ふるさと」への揺れる思いを表現していることが高く評価されたそうです。
作品を読んでいくと、情景が目の前に見える様な表現に吸い込まれていきました。
以下、作品を載せます。
2018年、立春が過ぎ、空がエステをしたように白くなった。なんだか心まで、明るくなる。春になったら何かいいことあるかも。毎年そう思う。あったためしがない。それでも春は待ち遠しい。
そんなある日、電話が鳴った。ふるさとの局番だ。誰だろう。「もしもし」「あ、久しぶり元気かいね?」小中学校時代の同級生だった。桜が咲くころみんなで集まるとのこと。彼女は言った。「たまには顔を見たいがね。出ておいでよ」「忙しいけん。ごめんね。」受話器を置きながら長い息を吐く。昔の話をして何がおもしろいのだろう。
奥出雲の小さな盆地で育った。桜だけは有名だった。町内をながれる斐伊川沿いの桜並木は「日本さくら名所百選」に選ばれている。が、ここ数年は見に行っていない。
両親は亡くなった。実家は取り壊した。墓も移した。ふるさとへ戻る理由はなくなった。桜も、遠くで想像するだけになった。それでいい。
父母のことは大好きだった。仲良しの友だちもたくさんいた。お花見も楽しかった。でも、それはもう終わったこと。私は今を生きる。過去を懐かしむなんて、年寄りのやることだと、自分だって年寄りのくせにとそう思っていた。
あたたかな風に誘われて車を出す。本屋で立ち読みをする。ふと下に目をやると満開の桜の木があった。あれ、思わず手に取る。斐伊川の写真集の表紙だった。パラパラとめくる。ピンク色のトンネル、ぼんぼりの薄灯り、夜店の裸電球。遠い日の自分がそこにいるような気がした。両親や友だちとの笑顔が瞼にゆれる。鼻の奥がツーンとしてきた。値段を確認してレジへ急ぐ。家に着くとすぐに同級生に電話した。「同窓会、出ることにしたけんね。土手の桜がみたくなったがね」
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田中達 (火曜日, 05 3月 2019 19:37)
素晴らしい作品ですね。心に迫ります。ふるさとは遠きにありて思うもの、とは言え、桜が友人たちと見れて、、涙を禁じ得ません。三島さんの別の文章が読みたいものです。